top of page

​善國寺について

善國寺緣起

甲斐国志によると「日蓮宗身延末黒印百八十坪寺記二云美濃ノ人齋藤道三ノ孫築後守善國(ちくごのかみよしくに)ナル者漂泊シ来リテ天正中此ノ寺ヲ立テ」とあり、また当山由緒には「天正元年七月六日開祖長源坊日義該村字盛栄(増穂町史には「上永」とある)に草庵を結び暫く此處に居住す當時美濃國齋藤道三の孫子齋藤築後守善國落民者となって該村彦左エ門方に偶居する殊に善國は本宗帰依の人なるが故に一寺を建立せんとす幸ひ身延山十九代日道上人は善國の肉兄なるが故に是を上願すれば上人より賜り曰く末法後立廣布の時機感應するを以て字盛栄願主善國の名称を直ちに寺山号に顕し慶長四年十月盛栄山善國寺と称す」とあります。さらに善國は彦左エ門に齋藤の性を譲りその子孫を檀徒としたとあり、当山檀徒に齋藤姓が多い所以が知られます。
身延山十九代日道上人とは、身延山久遠寺第十九世・法雲院日道法主であり、善國とは双子の兄弟と伝えられており、当然出生日が同じとなるはずですがその上、当山の墓石に記されている善國(清涼院殿浄哲日心居士)の命日と、身延山歴代墓地に記されている日道上人の命日が同じ慶長六年十二月十二日とあります。その故は明らかではありませんが、不思議な因縁を感じるところです。
以上より開山を日義上人、開基を善國と仰ぎ、開創は天正元年(一五七三)七月六日と定め、令和五年(二〇二三)が開創四五〇年となります。

住職より

 善國寺では開創四五〇年にあたり、その記念事業の一つとして「愛樹木葬墓地・善縁廟」を造成しました。これからは個人墓地化すると考えていたものを形にできたことになり、新たな時代の変化に対応できる寺院を目指しております。地域社会の変貌が様々な面で問題を生じています。このような状況下において、寺院の役割を見直す必要があると考えております。お寺は地域社会の中の「社会資源」の一つです。地域に暮らしている方々の歴史が収められており、拠り所としての蓄積もあります。このような社会資源を皆様に活用していただきたいと思っております。お寺には、どなたでも利用いただけるスペースがあり、駐車も可能ですので、お寺が用意する行事だけではなく、皆様の「集いの場」としてご利用いただき、そこから新しいご縁の輪が広がることを期待しております。

永代供養墓-善縁廟

愛樹木葬墓地
『善縁廟』のご紹介

葬儀やお墓に対する考え方に変化が現れています。従来型墓地ではなく樹木葬墓地という考え方が支持されています。

当山の 『善縁廟(ぜんえんびょう)』 は、 そのような新しいつながりを可能にしました。

bottom of page